亜炭鉱は長久手市のどこに分布していたのか

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長久手市で家を買う際に、知人から「亜炭鉱跡に気を付けろ」と言われました。亜炭鉱跡は地下で空洞になっているので地盤が陥没する危険性があるということでした。私の住む市東部に亜炭鉱跡は無いようですが、現在のどのあたりに分布していたのかを調べてみました。

質の低い石炭「亜炭」

亜炭鉱の分布を調べる前に、そもそも亜炭とは何かを抑えておきます。亜炭とは、石炭の一種です。石炭は植物が地中に埋没する過程で炭化したものですが、なかにはあまり炭化が進まないものもあります。こうした炭化度の低い石炭を亜炭とよびます。

炭化度が低いので、石炭よりも熱量が低く、臭いやすすも多く発生します。それでも、木炭よりは強い火力が得られるので、石油が流通するまでは主に家庭用燃料として広く利用されていました。

名古屋市の猪高村にあった亜炭鉱(長久手誕生100年より)

長久手の主要産業だった亜炭

長久手では、江戸時代から亜炭の採掘が行われていたことがわかっています。天保12年(1841年)に刊行された『尾張名所図会』という尾張地域の名所を紹介する書物の前編巻之五に、現在の長久手市内において亜炭採掘の様子が記されています。

『尾張名所図会』に描かれた「岩木ほり」(長久手町史 資料編2より)

上の図「岩木ほり」は、『尾張名所図会』に描かれた亜炭採掘の様子を示したです。当時は亜炭のことを岩木と称していました。

また、明治23年(1890年)に刊行された『尾張名所図絵』でも、旧長久手村において亜炭採掘場がこの地域の名所として紹介されています。

『尾張名所図絵』に描かれた「長久手木炭採掘之図」(長久手町史 資料編2より)

これらの資料から、亜炭の採掘が古くから長久手の主要な産業であったことがわかります。

長久手での亜炭の採掘は、大正から昭和の初期にかけて最盛期を迎え、昭和30年ごろまで続きました1

長久手での亜炭鉱跡による被害事例

『尾張名所図会』や『尾張名所図絵』の絵をみてもわかるように、亜炭は坑道を掘って採掘されました。露天掘りではなく、地下に穴を開けて採掘を行うわけです。

現在では亜炭鉱はすべて廃坑となっているので、過去に掘られた坑道の多くはそのまま放置されています。こうした廃坑空洞がある地域では、地表面の陥没や構造物の沈下などの鉱害が発生する危険性があります。長久手で家を買う際に亜炭鉱の話が出るのはこれが原因です。

亜炭鉱跡による実際の被害事例を探してみると、東海地域では岐阜県の中津川や可児での事例が多いようですが3,4,5、長久手市でも亜炭鉱の廃坑空洞による地盤沈下が発生しています6

建物の内部から、コンクリートがひどくきしむ音がしたかと思うと、間もなく敷地横の歩道ブロックが崩れた。地盤が沈み、建物全体が裏手の川の方向へわずかに傾き、隣の一戸建て住宅の一部にも目に見える被害が表れた。連絡を受けた行政側の調査により、地盤そのものの弱さや川べりという状況など複合的な要素が絡むが、付近にある亜炭坑の立て坑跡が重要な要因とみられることが判明。

中日新聞(2002年2月17日)朝刊6より抜粋

この記事によると、長湫地区のマンションで亜炭鉱跡が原因の地盤沈下がおき、建物が傾き、敷地のブロックが沈み、トイレの水も流れなくなるという被害が起きていたようです。

こうした問題から、亜炭鉱跡が発見された場合は充填剤を注入・固化させて地盤を安定化させる工事が行われます7。2016年に開業したイオンモール長久手も、充填工事により地盤を安定化させたうえで建設されています8

亜炭を含む地層の分布域

亜炭鉱跡による被害を防ぐためには、亜炭鉱跡がどこにあったのかを知る必要があります。まずは、長久手市内のどこで亜炭が採れるのか、亜炭の分布域をみてみます。

長久手市の地質は、中・古生代の岩盤を基盤として、その上に中新世以降の地層が堆積することで形成されています。中新世以降の地層のうち、新生代新第三紀鮮新世(約500-300万年前)の地層を瀬戸層群とよびます。瀬戸層群は瀬戸陶土層と矢田川累層に分けられ、さらに矢田川累層は水野砂礫相・尾張來炭相・猪高相の3つに分類できます9。名前からもわかるとおり、この尾張來炭相に亜炭が含まれています。

ややこしい名前がいっぱい出てきたので、簡単にまとめておきます。長久手市は古い岩盤の上に新しい地層が堆積していて、その新しい地層の一種に尾張來炭層があり、ここから亜炭が産出するということです。

尾張來炭相は長久手市だけに分布するものではなく、知多半島から名古屋市の鳴海、猪高、春日井市の高蔵寺を経て岐阜にまで至ります10。長久手市では、市の西側、長湫地区に尾張來炭相が分布しています。

長久手町史9に示された長久手町の地質図をもとに、長久手市における尾張來炭相の分布図を作ってみました。資料の地質図にGoogle Mapsを重ねて、主要施設や道路を加筆したものです。かなり大まかな図なので概略図としてご覧ください。

亜炭を含む尾張來炭相の分布(長久手町史9をもとに作図)

図の網掛けになった部分が尾張來炭相の分布域です。イオンモール長久手より西側、杁ヶ池を中心とする市の南西部に亜炭が分布していることがわかります。逆に、同じ長久手市でもIKEAやモリコロパークがある東部の地域には尾張來炭相がなく、亜炭の採掘には不向きな土地であるといえます。

亜炭鉱のあった場所

亜炭を産出する尾張來炭相が市の南西部に集中していることはわかりましたが、この分布が実際に亜炭の採掘を行った場所である亜炭鉱の分布と完全にリンクするわけではありません。たとえば、イオンモール長久手は尾張來炭相の分布域から外れているように見えますが、先に紹介したように実際には地下に亜炭鉱跡がみつかっています。

亜炭を採掘していた亜炭鉱はどこにあったのでしょうか。亜炭鉱跡の分布状況を示す資料は乏しいものの、参考になる図が名古屋市史11に掲載されていました。

亜炭・みがき砂採掘跡の分布参考図(新修名古屋市史 第8巻11をもとに作図)

上の図は、名古屋市史に掲載されていた「名古屋東部およびその周辺地域の亜炭・みがき砂採掘跡の分布参考図」をもとに、長久手市の白地図上に分布域を示したものです。図の網掛け範囲が分布域を示します。こちらの図もかなり大雑把に作図したものですし、出典元である名古屋市史には「亜炭・みがき砂採掘跡」とあるので、この図だけで亜炭鉱跡の詳細な場所を断定することはできません。それでも、資料が乏しいなかで亜炭鉱跡の場所を探るための参考情報としては非常に貴重です。

図をみると、亜炭鉱跡が市西部の長湫地区や岩作地区に分布しており、やはり市の東部には亜炭鉱跡は無さそうなことがわかります。また、先に示した尾張來炭相の分布と完全にリンクしているわけではないのが興味深いところです。地質的には市の南西部に亜炭が分布しますが、採掘自体は南西部から北北東にかけて行われていたようです。

アピタ長久手店や名都美術館などが立地するリニモの杁ヶ池公園駅周辺は市内でも人口密度の高いエリアですが、この地域も分布範囲内に入っています。また、長久手市立南小学校のすぐ近くには、「喜婦嶽亜炭鉱跡 慰霊碑」という慰霊碑も存在します。この慰霊碑は亜炭鉱内部で出水したことで亡くなった方のためのものですが、この地域にかつて亜炭鉱があったという記録でもあります。

亜炭鉱の出水事故を伝える喜婦嶽の慰霊碑 | myrsinifolia

危険性とともに活用方法も探りたい

亜炭は資源の乏しかったかつての長久手を支えた主要産業でしたが、現在では地表の陥没や沈下など、その危険性が問題視されています。ということで、長久手市のどこに亜炭鉱があるのかを調べてみましたが、市の西部、長湫地区や岩作地区に集中して分布することがわかりました。杁ヶ池や長久手郵便局のある地域ですね。

危険性ももちろん大事ですが、郷土の歴史を知るという意味でも亜炭鉱跡は興味深い対象でもあります。現在でも亜炭を観察できる露頭や、亜炭鉱跡に入れるように整備した施設があれば観光資源にもなる気がします。亜炭鉱跡の整備は個人では難しいので、ひとまずは亜炭を観察可能な露頭探しを今後の課題にしようと思います。

参考情報

  1. 長久手町(2006)長久手誕生100年.
  2. 長久手町史編さん委員会(1989)長久手町史 資料編七 近世.
  3. 中日新聞2019年9月26日朝刊岐阜総合「中津川の亜炭鉱廃坑跡で陥没」.
  4. 中日新聞2019年8月10日朝刊岐阜県版「御嵩で陥没、亜炭鉱廃坑か」.
  5. 中日新聞2019年3月27日朝刊岐阜県版「亜炭鉱廃坑起因か 御嵩の農地で陥没 町内18年度4例目」.
  6. 中日新聞2002年2月17日朝刊名古屋東版「特報館長久手亜炭坑跡で地盤沈降「安心の街」へ悩み多く復旧法3月期限切れ費用の算定に大忙し今後も事故あるかも…新築基礎工事 慎重に」.
  7. 坂本ほか(2006)地下空洞限定充てん工法の開発と施工, 土木学会論文集F, 62(3), 546-557.
  8. 宮澤ほか(2018)亜炭採掘区域における大規模商業施設出店までの施工管理(長久手中央地区の事例紹介), 区画整理と街づくりフォーラム.
  9. 長久手町史編さん委員会(2003)長久手町史 本文編.
  10. 名古屋市立猪高小学校(1975)猪高学区のあゆみ.
  11. 新修名古屋市史編集委員会(1997)新修 名古屋市史 本文編第8巻.

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