自宅でブルーベリーを鉢植を始めたのを機に、ブルーベリーという植物について少し勉強してみました。ここでは、ブルーベリーとはどんな植物なのか、系統とは何か、栽培の歴史などを綴ってみようと思います。

ブルーベリーとはどんな植物なのか
ブルーベリーはツツジ科スノキ属の植物です。学名はVaccinium spp.で[1]、ヴァクシニウムが属名(スノキ属)を指し、spp.は複数の種を含むという意味。ブルーベリーという単一の植物種が存在するわけではなく、スノキ属に含まれる複数種を総称してブルーベリーとよんでいるということです。
では、スノキ属のどの種をブルーベリーとよぶのか。伴(2014)[2]によると、米国農務省(USDA)は北米大陸に自生するスノキ属のうち20種の通称にblueberryという語を記載しているそうです。
米国農務省がスノキ属に分類した39種の植物のうちの20種の通称に「ブルーベリー」という単語が含まれている
伴 琢也(2014)ブルーベリーの品種の変遷と最近の研究動向, 園芸学研究, 13(3).
例えば、V. corymbosum(コリムボーサム)という種の通称はhighbush blueberry、V. crassifolium(クラッシフォリウム)はcreeping blueberryといった感じ。

逆に、同じスノキ属でありながらブルーベリーという名が与えられていない種もあります。クランベリーやビルベリーがその典型です。クランベリーは学名がV. macrocarpon(マクロカーポン)で、通称がcranberry。ビルベリーは学名がV. myrtillus(ミルティラス)で、通称がbilberryです。
このように、USDAは39種のスノキ属のうちの20種をブルーベリーとよんでいます。ただ、ブルーベリーという言葉はあくまで通称なので、明確な定義がなされたものではありません。
ブルーベリーの系統とは
これまで書いてきたようにブルーベリーには多くの種が含まれますが、実際に栽培されているのは大きく2つの系統に分けられます。
1つ目は、アメリカ北部原産のV. corymbosumをもとに生み出された品種群(グループ)。これらの品種群をハイブッシュ系といいます。2つ目は、アメリカ南部原産のV. asheiから育種された品種群。これらの品種群をラビットアイ系といいます[2,3,4]。

系統のもとになった種の原産地をみるとわかるように、ハイブッシュ系はラビットアイ系よりも低温要求量が大きく、逆に耐暑性は低いという特徴があります。ハイブッシュ系は寒さに強く、ラビットアイ系は暑さに強いというわけです。また、ラビットアイ系は樹勢が強く土壌適応性も高いことから、日本でも育てやすい系統といえます。
ハイブッシュ系はさらにノーザンハイブッシュ系とサザンハイブッシュ系に分けることができます。V. corymbosumをもとに、温暖なフロリダ州でも栽培できるようにと改良されたものがサザンハイブッシュ系。冬季温暖地域向けに改良されていないものをノーザンハイブッシュ系といいます[2]。
ブルーベリーの品種改良の歴史
ブルーベリーはアメリカ人にとって特別な果物です。それは、単にアメリカがブルーベリーの原産地だからというだけでなく、ブルーベリーとアメリカ人の歴史的な関係が影響しています。
1620年、メイフラワー号に乗った人々がヨーロッパから新天地アメリカに上陸して以降、アメリカへの入植が始まります。入植地はアメリカの北東部、現在のマサチューセッツ州プリマス。入植者達は厳しい冬の寒さや飢えに苦しむことになります。これを救ってくれたのが先住民からわけてもらったブルーベリーの乾燥果実やシロップでした。ブルーベリーを食べて飢えや寒さをしのいだことから、アメリカ人にとってブルーベリーは「命の恩人」というわけです[5]。

そんな経緯もあり、ブルーベリーの初期の品種改良はアメリカで進められました。ハイブッシュ系の品種改良は、USDAのFrederick Vernon Coville(コビル博士)が1900年代初頭に着手し、Elizabeth Coleman White(エリザベス・ホワイト女史)と共に多数の品種を生み出しました。


サザンハイブッシュ系は、1950年代にUSDAとフロリダ大学が共同で育種したものです。ノーザンハイブッシュのV. corymbosumと、温暖な気象条件に適したV. darrowiなどを交配させて作出されました。
ラビットアイ系はハイブッシュ系よりも早く1890年代から品種改良が進められましたが、本格化するのは1920年代以降にジョージア大学とUSDAの共同育種プロジェクトが始まってからです。
日本にブルーベリーが導入されたのは、第1回NHK紅白歌合戦が放送された昭和26(1951)年。 農林省北海道農業試験場がマサチューセッツ農業試験場からハイブッシュを導入したのがはじまりです。名古屋放送が開局した昭和37(1962)年には、農林省特産課によってラビットアイが導入されました[1]。
ラビットアイはその後、東京農工大学の岩垣駛夫(はやお)によって栽培研究が行われ、日本のブルーベリー産業の礎が築かれました[1]。この功績により、岩垣駛夫は「日本のブルーベリーの父」といわれています[6]
参考
- 杉浦明ほか(2009)果実の事典, 朝倉書店.
- 伴琢也(2014)ブルーベリーの品種の変遷と最近の研究動向, 園芸学研究, 3(3), 185–191.
- 亀有直子ほか(2010)ファイトトロン内で測定したハイブッシュブルーベリーとラビットアイブルーベリーの光合成特性, 園芸学研究, 9(4), 455–460.
- 車敬愛ほか(2009)ブルーベリー3種64品種の東京における果実の成熟と品質特性, 園芸学研究, 8(3), 257–265.
- 玉田孝人 福田俊(2015)図解 よくわかるブルーベリー栽培, 創森社.
- ブルーベリー, 先進植物工場研究施設, 東京農工大学.
本文中での学名のカタカナ表記は、英国王立園芸協会(2003)A-Z園芸植物百科事典, 誠文堂新光社. の表記に従った。
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